こんにちは。読書大好きナナチアンです。
今日は「アリさんとキリギリス 持たない・非計画・従わない時代(細谷功著:さくら舎)」をご紹介します。
世の中ですごい結果をだす人と普通の人の違いをすごくわかりやすく比較して書いている本です。イソップ物語の「アリとキリギリス」をモチーフにされており、「勤労と貯蓄の重要性」ではなく、現代に合わせた「知性のあり方」をイラストや例をつかって表現しています。
この本のテーマは「180度異なる考え方をする人がいるので相互理解をしよう」ですが、私はキリギリスさんにあこがれます。
キリギリスみたいに自由に生きるための思考法を体得します。
イソップの寓話「アリとキリギリス」では、働き者のアリと怠け者のキリギリスの対比が描かれ、アリの美徳が称賛されるとともに、怠け者のキリギリスはすっかり悪者扱いとなってしまいました。(略)
21世紀の現代になって、そのキリギリスが汚名を返上すべく世の中が変化してきています。本書の目的は「ついにやってきた」キリギリスが活躍できる時代において、キリギリスたちの価値観を見直し、現代における彼らの市民権を取り戻し、来るべき時代の生き方や価値観について考え直してみることです。
- 車の購入費や月極の駐車場・税金・車検を払うよりも、シェアカーで必要な時だけ借りる、少しの移動ならタクシーを使うほうがラクチンで安い。
- 持ち家で35年返済の借金を抱えるよりも、転勤や家族が増える・減るなどの生活状況によって自由に引越しできる賃貸のほうが便利。
- 変化の激しい時代に学校で習った知識は古くなり、知識を覚えるよりも、最新情報を調べたほうが確実。
アリさんとキリギリスの違い
「貯める」アリと「使う」キリギリス
アリは持つこと、貯めることに価値を置きます。なので、知識や肩書、貯金が大好き。一方キリギリスは、使うことに価値をおきます。知識やお金を使って新しいものを生み出すのが大好き。一度始めたことも、もっといいものが見つかればあっさり手放します。
そういえば、スティーブ・ジョブズさんやホリエモンも高校や大学を中退していますよね。学校に通うよりも価値があることを発見したら、そっちに注力します。前例がないことを新たに作ってやろうというのがキリギリスです。
個人的にすごく共感したことをシェアします。持つ・貯めることを重視するアリと、利用することを重視するキリギリスの違いです。
このような姿勢は観光地を訪れた時にも現れます。とにかく記録に残すことが大事なアリは、目の前にある実際のものを観察するのはそっちのけで、写真やビデオを撮りまくります。その場の経験よりも、後から振り返れる記録を残すことが重要だからです。
対するキリギリスは(略)単なる景色や銅像を撮るだけなら、後から絵葉書を買えばいいと思っていますから、せっかく現地に行ったなら実物を五感で感じることのほうが大事だと考えます。
昔は写真を撮りまくっていましたが、今はほとんど写真を撮りません。プロが撮った絵葉書を買えばいいと思っていますから。この部分に関しては、私はキリギリスのようです。
「巣がある」アリと「巣がない」キリギリス
アリの意識の根底には、「内と外」という発想があります。アリの巣のように、自らが所属する集団の構成員であることを強く意識し、その内側で起こっていることと外側で起こっていることを明確に区別して考えます。(略)「巣の中の論理=正しいこと」でそれに反するものは間違っているという「正・誤」あるいは「善・悪」が判断基準になります。
キリギリスにはそのような境界もなければ、内と外という感覚もありません。あるのは自分自身と無限に広がる大草原だけです。
なるほど。具体的にどういうことでしょう?
アリはチームワークが得意ですが、チームの外に対して排他的になります。一方キリギリスは、そもそも内と外という感覚がありません。個々の事象に対してプロジェクトを立ち上げ、プロジェクトが完了したら解散します。
今企業でも部署横断的なプロジェクトは流行っていますよね。今後も徐々にプロジェクト制に移行していくのがよくわかります。
年末年始の挨拶を仕事の基本だと思っているアリと、無駄なことはしたくないキリギリスの話もものすごく共感。
何故年末年始の忙しい時期にわざわざ挨拶に来るのかわからない。それなら仕事が落ち着いている時期にゆっくり来てくれるほうがよっぽどうれしいです。
「二次元」のアリと「三次元」のキリギリス
ここでいう「次元」は、「自由度」を意味します。アリは「前後左右」という平面については自由に動けますが(逆にいうと平面の中だけに行動が制限されている)、キリギリスはそれに加えて「縦方向」にも自由に動けるので、「縦軸」というもう一つの「軸」を持っています。
アリさんの前提は「選択肢は与えられるもの」。その与えられたものに不満があると、愚痴という形で外に吐き出します。一方キリギリスは、「自らの世界では自らがすべてをコントロールできる」という前提です。つまり、ブラック企業の愚痴を言うアリさんと、ブラック企業で働くのは嫌なので転職するキリギリスの違いです。
アリとキリギリスの共存は可能か
アリとキリギリスの対立は、人類の歴史とともにあるといってもいいくらいに、さまざまな時代のさまざまな組織や集団において繰り返されてきました。(略)「組織の論理」や「多数派の論理」というのはことごとくキリギリスの思考回路と反します。したがってキリギリスは常にアリたちから「変わり者」として排斤され続けてきたのです。
共存は可能なのか、という問いに著者は「Yes」と回答しています。役割分担にもなるかもしれませんが、キリギリスが新しいものを立ち上げ、アリが組織で運営していく、という構図です。
このあたりは、「天才を殺す凡人」にも詳細が書かれていますね。