始皇帝中華統一の思考 「キングダム」で解く中国大陸の謎(渡邉美浩)
こんにちは、読書大好きナナチアンです。
キングダム大好きです。漫画3回くらい読んでいます。そしてキングダムから中国の歴史に興味を持ちました。
だからこと興味をもった『始皇帝中華統一の思考「キングダム」で解く中華大陸の謎』
すごくおもしろかったです。観点もおもしろいし分析・考察もおもしろい
疑問にも思っていなかった中華大陸の秘密について学びました。
そもそも中華統一の謎とはなにか?
日本もヨーロッパの各国もそれぞれが統一された歴史を持っているので、謎を謎とも思っていませんでした。
- 人種も文化も異なる14億人を統一
- 封建制ではなく中央集権制
そういわれてもピンとこないので、ひとつずつ見ていきましょう。
人種も文化も異なる14億人を統一
確かに14億人は多い。めちゃくちゃ多い。
キングダムでの統一がされた時代では14億人はいないとは思いますが、その時代では抜群の人口だったことが、キングダムを読んでもわかります。
そんな戦のために1万人の兵なんて他の国では集まりませんよね。
さらに文化が全く異なっていました。
人種も文化も言葉も分量もなにもかも違う、異国が集まった国が当時の中国です。今でも北京と上海は全く別の言葉を話しているそうです。
そんな国が統一国家として成立していることが、第一の謎です。
封建制ではなく中央集権制
江戸時代の日本は、複数の藩がそれぞれ土地を治めていました。江戸幕府が治めていたのは東京の江戸藩のみ。その他の地域は各藩が治めていました。
これを封建制といいます。
遠くの土地や、異なる文化をもつ人々を、中央から統治するのはとても難しく、各地の有力者に統治させるほうが世界では一般的でした。
しかし、中国は秦の始皇帝の時代から中央集権制で統治していました。
中央から、一代限りの(世襲ではない)役人を派遣し、統治させたのです。役人の仕事は王の命令にもとづいて土地を治めることで、権限も限られていました。
これを中央集権制といいます。
なぜそんなことができたのでしょうか?これが第二の謎です。
秦以外では中華統一は成しえなかった!?
キングダムの時代の秦以外の6国(楚・趙・燕・斉・魏・韓)のトップは「中華統一」という言葉を発していないのはお気づきですか?
中華統一なんてくだらない夢はあきらめろと、合従軍を秦に向かわせましたよね。
中国は生まれによる身分社会で、身分の高い家の長男に生まれるといい仕事やいい生活が確約されていました。これを氏族制といいます。
中華統一は氏族制が壊れるため好まれていませんでした。
既得権益を犯されたくない、今の世界でも通じるものがありますね。
なぜ秦で中華統一ができたのか?
秦ができてから始皇帝が即位するまでに、3人の君主による大改革や大躍進がありました。中華統一を狙える国にバトンをつなげてくれていたのです。
9代目君主穆江(ぼくこう)
キングダムで山の民に助けを求めにいく話で、山の民と同盟を結んだという穆公です。
穆公は
- 西部へ領土を広げた(東部は中華大国が争っていた)
- 生まれや民族にかかわらず、賢人を登用した。
特にこの人材登用の改革により、優秀な人材が秦に集まり、その後の改革にも大きな影響を与えました。
25代目君主孝公(こうこう)の時代の商鞅(しょうおう)
孝公が徴用した法家商鞅により、秦の氏族制を解体されました。(一部は残ります)
氏族制とは、仕事や領地は代々本家の長男が継ぎ、兄弟や分家(父の弟など)は本家の当主に仕える制度で、中国では一般的でした。
それを、出世は「身分」ではなく「軍功(戦争での手柄)」によってきまり、各領地は君主から派遣された官僚が治めることとし、氏族制を解体していきました。
もちろんあらゆる反対はありましたが、秦が他の国に比べて新興国であり、有力な権力者が少なかったことや、孝公の次の君主(恵文王)も商鞅の法を支持したため残りました。
28代目君主昭王(しょうおう)
キングダムではあの王騎(おうき)将軍が仕えた戦神昭王です。昭王は中華統一を念頭に戦をおこない、他国から恐れられるほどの強さとなりました。
始皇帝の描いた法で治める国
さて、中華統一までの道のりはキングダムに任せるとして、統一後の世界を見ていきましょう。
郡県制(中央集権)
郡県制は、中央から世襲しない一代限りの官僚を派遣して治める制度です。
この官僚に上下はなく、すべて皇帝の下につきます。日本で置きかえると、県知事も市長も警察トップも監査担当者も全員首相が任命して派遣するということです。
このしくみは紀元前200年の秦から20世紀に滅びる清まで続きました。
文字の統一(漢字のはじまり)
広大な中国大陸では、地域ごとに外国語のように全く異なる言葉が使われていました。文字もそれぞれの地域で異なっており、これでは中央の命令がうまく伝達されません。
そこで始皇帝は統一文字「篆書(てんしょ)」を定め、あらゆる命令を文書に残すことを命じました。
現在の中国でも地域によってあらゆる言語が使われていますが、文字が共通なため筆談をすれば意味を理解することができます。
度量衡・貨幣の統一、交通網・戸籍の整備
度量衡・貨幣価値の統一は、地方の権力者や役人による不正をなくすことを目的としています。
度量衡が決まっていない場合、布5尺を徴収するという国からの命令にたいして、1尺を倍として10尺徴収し、5尺を国に治め残りの5尺は自分のものとする、などできてしまいます。
さらに交通網・戸籍の整備をすることで、軍の移動や徴兵をしやすくしました。
君主が変わっても支配のしくみは変わらない?
始皇帝は中華統一後、法治国家とするためにあらゆる施策をおこないましたが、各地で強い反対もありました。
中華統一の理想を実現したのは、秦のあと中華を治めた漢です。反対が強い地域はしばらく地域に即した統治をおこない、少しずつ6代かけて始皇帝の施策を浸透させていきました。
なぜ漢やその後の国は、中央集権体制で広大なエリアを治めたのでしょうか?
それは匈奴などモンゴルや西側の異民族からの攻撃に立ち向かうため、小さな国が乱立しているよりもまとまったほうが強いという判断からきています。
始皇帝が描き、漢によって完成されたしくみは古典中国モデルとして、その後の中華統一国家の多くが参考にしました。
まとめ
キングダムにかかわりのあるところをごそっと省いてしまった(笑)呂不韋や長平の戦などキングダムに出てきたことの全体像もよくわかり面白かったです。
キングダムが好きで中国の歴史に少しでも興味ある方は楽しめます。
今では当たり前のようにあることも、誰かが作っている、それも今から2000年以上前の人が。それがなによりおもしろかったです。