日本人として知っておきたい!代表的日本人(内村鑑三)
こんにちは、読書大好きナナチアンです。
今日は内村鑑三さん著、鈴木範久さん訳の「代表的日本人」をご紹介します。
知らなかったけど、昔からある由緒正しい本なんですね。
新渡戸稲造「武士道」、岡倉天心「茶の本」と並ぶ、日本人が英語で日本の文化・思想を西洋社会に紹介した代表的な著作(1908年)だそうです。
あの時代の日本人が西洋に対して何を誇ったか、どんな人が尊ばれるのかがよくわかりますね。
楽しんでください。
西郷隆盛(新日本の創設者)
そういえば、西郷隆盛ってなにした人だろう?明治維新にかかわっているのは知ってるけど・・・
たしかに、「これっ!」というものはないんです。
新国家は、革命にたずさわった人々全員がいなければ実現できていません。
ですが、西郷なくして革命が可能であったかは疑問と言われるくらい、すべてを始動させる原動力となったのが西郷隆盛でした。
西郷隆盛の純粋な意思の力、道徳的な偉大さが、運動を作り出したのです。
上杉鷹山(封建領主)
山形県の米沢藩の藩主なのですが、一介の藩主が取り上げられることに驚きです。
上杉鷹山が藩主となったとき、米沢藩は負債が積み上がり破綻しかけていました。そこで行った政治が素晴らしい。
自らの倹約
家計の支出を1050両から209両に減らし、16年かけて負債を返済しました。
人材登用
- 郷村頭取、郡奉行(村を納める人)・・・民をいつくしむ心さえあれば、能力が不足しても問題ない
- 巡回説教師(先生・教育)・・・地蔵の慈悲、不動の正義をもて
- 警察(犯罪をとりしまる・・・閻魔の正義、義憤をもち、心に地蔵の慈悲を失うな
産業改革
- 領地に荒れ地を残さないこと
- 民の中に怠け者を許さないこと
その結果、有事以外はサムライも農業を行い、絹の産地になりました。
社会および応徳の改革
諸改革の中心に有徳な人間を登用し、学校・病院の拡充や公娼(風俗)を廃止
二宮尊徳(農民聖者)
あの、重い荷物を持って歩きながら読書をしている銅像が残っている彼ですね。
二宮尊徳はもともと農民に生まれ、父母を亡くしたため親戚の家で育ちました。
「勉強している暇があるなら働け」と言われる中、歩きながらでも本を読み勉強し続けました。
その経験が「努力は報われる、自然は裏切らない」という信念になりました。
親戚から自立すると、山の斜面・川岸・道端・沼地など不毛な土地を耕し、資産を作っていきました。
その噂を聞きつけ、藩主じきじきに「荒廃地を復活させてほしい」と依頼されました。
最初は断りましたが、ついに一農民である二宮尊徳が、数年間その土地の指導者となったのです。
勤勉・誠実をもって改革をおこない、荒れ地を復活させることに成功し、どんどん噂となっていきました。
中江藤樹(村の先生)
孔子「天子から庶民にいたるまで、人の第一の目的は生活を正すことである」
という言葉に感銘を受け、たくさん勉強をしました。
一時藩主に仕える仕事もしていましたが、大事な母親のために高待遇を捨てて村で先生をすることにしました。
ひっそりと先生をしていたのですが、中江藤樹の教え子から話を聞いた”とある方”が、教えを受けたいとやってきました。
最初は断っていたものの、大事な母の一言で、教えを授けました。
その”とある方”がその後岡山藩で大きな改革をたくさん行った能沢蕃山でした。
エライ人が訪ねること・登用の話もありましたが、中江藤樹は最後までひっそりと村の先生を行いました。自分が最高だと思う生き方をするっていいですね。
日蓮上人(仏僧)
何をやったかというと、「日蓮宗」を作った人ですよね。
もともとは貧しい家に生まれ、幼くして寺で仏教を学びました。そこで疑問に思ったこと「なぜブッタは一人なのに、仏教には教派がたくさんあるのだろう?」
どの教派がいいのか探した結果、人の言うことは聞かずに「経文(仏尊によってのこされた教科書みたいなもの)」の教えにしたがおうと、日蓮宗を作りました。
最初は変な奴だと村から追い出され、教会・金銭の支給・人的援助を一人で始め、説教を続けました。次第に門弟が増えていき、出る杭は打たれるかのごとく迫害されましました。
世と戦い続けた人生でした。
まとめ
かつての西洋に誇る日本とは、道徳なのですね。誠実さや勤勉さ、意思の力などをイチオシポイントとしておいていたことがよくわかります。
ナナチアンは正直よく知らない人ばかりでした。
ナナチアンの知識は本・マンガやYoutubeがほとんど。なので今どきは道徳は売れないということでしょうか?
今の時代でも大切なことに変わりはないんですけどね。